ロシア紀行

 2008年6月、妹とふたりでロシアを訪ねることになった。この間から読んでいた

アンリ・トエオワイヤ著「女帝エカテリーナ」の舞台 サンクトペテルブルグには

是非行ってみたい、と思っていたから・・


1日目

ソウルのインチョン空港に乗り継ぎ、約9時間のフライトでモスクワの

シェレメチェヴォ空港に着きました。

日本との時差はサマータイムの現在モスクワ、サンクトペテルブルグともに

マイナス5時間です。

入国手続きに2時間ほどかかり、ホテルに直行。ホテルのチェックインも

時間がかかりました。

2日目


今日は世界遺産のセルギエフ・ポサートを訪ねます。モスクワから北北東に70km

トロイツエ・セルギエフ大修道院




中に入ると丁度ミサの時間で、素晴らしい合唱を聴くことができました。

ノヴォデヴィチ修道院

ヴァシーリー三世が1524年に建てた女子修道院で城壁に囲まれています。


城壁の外には湖があり、チャイコフスキーがこの湖の周囲を散策しながらバレエ曲

「白鳥の湖」の構想を練ったという逸話もあるとか。


今日は白鳥の湖には白鳥はお留守で鴨が数羽泳いでいました。

3日目


モスクワの北東に点在する古い都(首飾りが円を描くように位置しているので

「黄金の環」と呼ばれる)ウラジーミルとスズダリを訪ねます。

モスクワから約168km離れた世界遺産の町ウラジーミルへ。

黄金の門やウスペンスキー寺院を見学。展望所からの眺めは格別でした。

昼食は農家にお邪魔して家庭

料理を頂きました。

スパソ・エフフィミエフ修道院

創設は1352年。砦のような城砦で高さ8m、長さ15km12の塔を持っています。

修道院の中心オブラジェーンスキー聖堂は7つのドームがあって、教会の隣には

鐘楼が建っています。17時ちょっと前におじさんとおじいさんの中ほどくらい

のひとが中に入って、鐘楼に並んだ大小の鐘をうまく響き合わせ、見事な鐘の

音楽を披露してくれました。17時から丁度10分間、19個の鐘でラフマニノ

フの曲を一人で演奏されました。森閑とした緑の中で、ラフマニノフは

素晴らしい!!

しばらくして演奏を終えたおじさんはひとり、森の向こうに帰っていきました。

「あのおじいさんの後継者はいるのかしら・・?」ツアーのひとりがつぶやいておりました。


4日目

のどかなスズダリの街を散策





一路モスクワに向かいました。

クレムリン内にある 歴代の皇帝の膨大な宝物を収蔵している武器庫を見学しました。

武器庫という名前であるが、実際には歴史博物館であります。ロシアの工芸美術品、

宮廷馬車、ダイヤをちりばめた王冠、エカテリーナUのウエストの細いドレス、外国の支配者

などからの贈り物、戦利品などが展示されていました。馬の胸を飾るエメラルドと

ダイヤモンドの大きなネックレスが印象的でした。

ロマノフ王朝のエカテリーナ2世とはどういう人物でしょうか?

1724年4月21日、ポメラニアのシュテッティンで誕生、ゾフィー・フリーデリケ

 アウグスタと命名されました。ドイツの一貴族の娘はエリザベータ女帝の

後継者ピョートル3世に嫁ぎ、ロシア風の名前エカテリーナと名を改めました。

1762年、彼女はピョートル3世を退位させ、自ら女帝エカテリーナ2世

として即位しました。(アンリ・トロワイア著「女帝エカテリーナ」 中央公論社から)

ガイドのアラさんによるとエカテリーナには64人の恋人が居たと言われました。

寵臣用の通常経費のは驚くほど多いが、中でもポチョムキンには5000万

ルーブルも使っています。

ウスペンスキー大聖堂

かつてのロシア帝国の国教大聖堂ロシア

で最も権威のあった教会で1762年エカテ

リーナ2世もこのウスペンスキー寺院で

戴冠式に臨みました。


赤の広場を通ってメトロの駅を見に行きました。1935年にできた駅だとか。

大阪のように自動販売機はなくて切符売り場に並び、20ルーブルを出すと、

太ったおばちゃんの駅員さんはにこりともしないで1ルーブルのつり銭と切符を

投げるように渡されました。同じツアーの永田さんは「ロシアのおばさんはアイソが

ないねえ。わたしだったらたこ焼きでもご馳走して、ようこそ大阪へきてくれはりました、と言っ

てにっこりするわ」だって。でもこの駅は素晴らしい。ブロンズ像があちこち飾ってあって

美術館のよう




夕食は永田さんと小川さんと4人で。永田さんと小川さんは大阪の漫才コンビのようで、

ふたりの会話を聞いていると思わず笑ってしまう。

今日は夜行寝台列車(個室 二人部屋)でサンクトペテルブルグに向かいます。

バスはモスクワ駅に向かうが渋滞でなかなか進まない。

5日目

サンクトペテルブルグの  
 
朝。快晴。

 駅に花売りのおばさんが

 いました。ひとつも売れて

いませんでした。


サンクトペテルブルグの創建は1703年ピョートル大帝が、当時この辺りを支配して

いたスエーデン軍を追い払い、バルト海に開かれた要塞を築きました。

彼はこの都市をサンクト(聖)ペテル(ペトロ)ブルグ(町)と名づけました。


エカテリーナ宮殿


ブルーの壁と白い柱の優雅な宮殿はエカテリーナ宮殿。バロック様式の建築です。

入場するのに、ここでも時間がかかりました。

中央の階段は大理石。古代ギリシャをモチーフにした天井画。

「謁見の間」は女帝エカテリーナ2世が好んだ金色に輝くお部屋。オランダデルフト製の

ペーチカがありました。日本から漂着した大黒屋光太夫はこの部屋で

エカテリーナ2世と謁見したとか・・・

食堂や肖像の間を抜けると有名な「琥珀の間」がありました。




次にエルミタージュ美術館を訪ねました。

豪華絢爛なロマノフ王朝の夢のような時代が想像できます。「エルミタージュ」

とは「隠れ家」を意味するとか。バロック式「大使の階段」はリッパ!!

中央のシャンデリアが一番大きい。ピョートル大帝の間や紋章の間、孔雀石の間

など。ため息が出る。美しい部屋を見学した後、イタリア美術へ。

13世紀〜15世紀のルネッサンスの作品を観る。ダビンチの間では「リッタの聖母」

と「ブノアの聖母」 ラファエロの「聖家族」、ティッツイアーノの「懺悔するマグダラのマリア」、

ミケランジェロの「うずくまる青年」などを観ました。「リッタの聖母」は

レオナルド・ダビンチが30代で描いた作品で前から観たかった

作品だったので大満足。近代美術ではセザンヌやピカソなどもっと

ゆっくり観たかったのに、先に見た豪華絢爛たる数々のお部屋や

家具調度品などをみて感動感激して、作品を観るときには疲れきってい

ました。こんなに小時間でこんなに盛りだくさんの作品をみるのはもったいない。


6日目


朝、関空以来初めて携帯電話を開いた。「現地時間に替えますか?」と出てくる。

決定を押すと左側に日本時間、右側にマイナス5時間のロシア

時間が表示されました。「ええっ !? なんでわかるの? なにも、

docomoに届けないできたのに・・」わたしは一瞬隠しカメラで撮影されたか、

盗聴されたような気分になった。それでは日本にメールを送ってみると

ちゃんと届いたのです。本当は電話が賢いのでした。

今日は世界遺産 サンクトペテルブルグの市内観光の予定。

聖イサク寺院

金色のドームと112本の

花崗岩の円柱
血の上の救世主教会

純ロシア風教会で、1881年に

皇帝アレクサンドル2世が暗殺

された場所に建っている

ペテルゴーフ

午後はこのツアーのハイライト、ピョートル大帝の夏の宮殿と庭園の見学

ペテルゴーフはフランス式の上の庭園と噴水群が見事な下の公園、そしてその間

に建つ大宮殿からなっています。ユネスコの世界遺産にも登録されています。



 下の公園には「アダムの噴水」「イヴの噴水」など金色に輝く彫像で

飾られた数々の噴水がありました。これらの噴水はポンプなど一切使わず、

自然の高低差のみを利用したシステムで水を噴き上げて

るとか。22m離れたフォンタンカ川の水源から水を引いています。

7・8日目


 10:30 バスで陶磁器工場「インペリアルボーセリン工場」に行きました。

1844年創立された工場です。ロシアで一番早く制作された陶磁器や、

現代の作品、マイセンや日本の陶磁器も展示されていました。昼食後は子供たちの

「バレエ学校」を訪ねました。未来のロシアンバレエ界を

背負う子供たちは将来のプリマを夢見て練習に励んでいました。



ネヴァ川クルーズ

ファンタンカ川の船着場から乗船しました。ネヴァ川からの眺めは最高で、

芸術アカデミー、人類学、民族博物館など18世紀の建築物の前を通り抜け

ました。トロイッキー橋の下をくぐる。ネヴァ川の幅は広いところで800m、

長さ74km、深さ25mあるといいます。ユリカモメが飛んでいました。

一時間ほどのネヴァ川クルーズはほんとによかった。ロシアにきて何時間もかかった

入国手続きや延々と続くクルマの渋滞やトイレの行列など、待つことばかりの

多かった不満もこの景色で忘れました。

憧れのロシアの旅の8日間はあっという間に過ぎてしまいました。

今夜はもう帰る日なのでした。